1.《中国诗词大会》落幕,日本网友也开始“斗诗”了是怎么回事最近,日本网友也掀起了一股“写诗”热潮,一个名为“平成自由诗”的热词在日本推特上火了起来。一场“斗诗大赛”猝不及防地拉开序幕。 大意是:“由于‘安倍经济学’取得成功,股价和养老金暴涨,恩格尔系数暴涨也不用担心,可是为啥吃饭费用占的支出比例上升了呢?”实际上,“安倍经济学”并没有让日本股价和人们的养老金暴涨,而吃饭费用比例的确增加了。显然,这是一首讽刺安倍的打油诗。 还有这一首《社畜歌》的节选: “社畜”是日本企业底层上班族的自嘲用语,是指为了企业放弃身为人类的尊严、卖力地为企业效劳的大城市打工一族。 除了讽刺、自嘲,还有若干源于生活的琐碎记录: 延伸阅读:日本网友为什么一言不合就要“斗诗”呢? 这波“斗诗”潮起因要从一位叫幡谷祐一的老先生创作的汉诗说起。他捐赠给筑波大学一尊雕像,被筑波大学称为学术象征,雕像的铭牌上有他创作的一首汉诗。名为《忘食》:“白面书生学筑波,发愤忘食纸笔耕。桃李满门邦家丰,紫峰名声四海奔。” 有网友将这首诗拿到网上,称其表面上像一首七言绝句,但实际上不合平仄、文法不通。如第二句“仄仄仄仄仄仄平”,完全不符合汉诗的平仄要求,有日本网友指出,在拥有很多日本文学和中国文学教授的大学中,将这种不能成为汉诗的东西称为“汉诗”,作为学术象征,简直有辱门庭。一些中国网友索性将这首“汉诗”称为日本版的“老干部体”。 如今越来越多的人又开始尝试创作汉诗。除闲暇时间较多的退休老人,不少年轻人也参与进来。互联网上学习汉诗的网站也很受欢迎。 进入20世纪,汉诗在日本急剧衰退。因为江户时代之前,学习汉诗要学习每个汉字的音韵,创作符合平仄的汉诗,虽然日语发音只是模仿古代汉语的发音,但是仍尽量努力体现汉诗本来的音韵美。在明治以后的日本汉文教育中,与日常生活无关的音韵受到轻视,使很多汉诗由于没有考虑到汉语发音,“韵律并不符合中国的标准,也就是说,用中文发音念诵这些汉诗的时候,并不押韵,所以很多汉诗受到的评价不高。不过夏目漱石、森欧外等文学大家因为接受过传统的汉文教育,仍然擅长写优秀的汉诗。 日本各地都有汉诗大赛 此外,互联网的出现也为汉诗的复兴助了一臂之力。“全汉诗联”理事铃木淳次在1998年开设了免费汉诗网站“桐山堂”,每年都收到300多首汉诗投稿。铃木淳次会仔细指出作品的优劣之处,鼓励投稿者继续创作。近年来还不断有新的汉诗参考书出版,例如解说汉诗中常用汉字音调的《平仄字典》和能查阅汉诗中二字惯用词的《汉诗诗语词典》等。 2.日本诗歌中是否有类似于中国古代诗歌中的“悯农诗”,在日本这类反山上忆良(やまのうえのおくら)の『贫穷问答歌(ひんきゅうもんどうか)』〈万叶集(まんようしゅう)巻五〉はどうでしょうか? 贫穷问答歌一首 短歌を并(あは)せたり 山上 忆良 风雑(まじ)り 雨ふるよ(夜)の 雨雑(まじ)り 雪ふるよ(夜)は すべ(术)もなく 寒くしあれば 坚塩(かたしほ)を 取りつづしろひ 糟汤酒(かすゆざけ) うちすす(啜)ろひて しはぶ(咳)かひ 鼻びしびしに しか(然)とあらぬ ひげ(须)かき抚(な)でて あれ(吾)をお(除)きて 人はあらじと ほこ(夸)ろへど 寒くしあれば 麻ぶすま(衾) 引きかがふ(被)り 布かた(肩)衣(ぎぬ) あ(有)りのことごと きそ(着袭)へども 寒き夜(よ)すらを われ(我)よりも 贫しき人の 父母は 饥ゑ寒(こご)ゆらむ 妻子(めこ)どもは 乞(こ)ひて泣くらむ 此の时は いか(如何)にしつつか 汝(な)がよ(世)はわた(渡)る 天地(あめつち)は ひろ(広)しといへど あ(吾)がためは 狭(さ)くやなりぬる 日月(ひつき)は あか(明)しといへど あ(吾)がためは 照りやたまはぬ 人皆か あ(吾)のみやしか(然)る わくらばに ひと(人)とはあるを ひとなみ(人并)に あれ(吾)も作(な)れるを 绵もなき 布(ぬの)かた(肩)衣(ぎぬ)の みる(海松)のごと わわけさ(下)がれる かかふ(褴褛)のみ 肩に打ち悬け ふせいほ(伏庐)の まげいほ(曲庐)の内に 直土(ひたつち)に 藁(わら)解き敷きて 父母は 枕のかた(方)に 妻子(めこ)どもは 足(あと)の方(かた)に 囲(かく)み居(ゐ)て 忧(うれ)へ吟(さまよ)ひ かまど(灶)には 火気(ほけ)ふ(吹)きた(立)てず こしき(甑)には くも(蜘蛛)のす(巣)か(悬)きて 饭(いひ)炊(かし)く 事もわす(忘)れて ぬえ(鵼)鸟(どり)の のどよ(呻吟)ひ居(を)るに いとのきて 短き物を 端(はし)き(切)ると 云(い)へるが如(ごと)く 楚(しもと)取る さとをさ(里长)がこゑ(声)は 寝屋ど(処)まで 来立ち呼ばひぬ かくばかり すべ(术)なきものか 世间(よのなか)の道 世间(よのなか)をう(忧)しとやさしとおも(思)へども飞び立ちかねつ鸟にしあらねば |